2010年12月5日日曜日

何故、降格にいたったか。

一応、自分なりに降格に至った理由を考えてみたい。

・米本の怪我
ここが一番大きかったのではないか。要は層が薄いということだが、これをどうするかのために試行錯誤し続け、米本の復帰に至っても少しはよくなったが、チームを完成させることができなかった。はっきりいって、6月くらいまでに必勝パターンさえつくることが出来れば、その頃の順位は関係ない。
しかし、米本の穴を埋めるために、また梶山も怪我で最初出られなかったため、ボランチをどうするかで試行錯誤し続けた。
それまでのレギュラー以外の選手で埋めることが出来ればよかったが、徳永をコンバートなど、他のポジションもいじることとなった。それによることで、今度はSBをどうするか、など結果的に
CB,SB,ボランチ
の固定ができなかったことが大きい。

ブルーノか茂庭か佐原がいればと本当に思った。浅利でも藤山でもよかった。
これまでのシーズンとは異なり、困ったときの切り札が今年の東京にはなかったのだ。

少なくともCB,SBはレギュラーを固定し、何かがあったときに安心してまかせられるバックアップが必須だったのだが、最終節近くに到るまでそれができなかった。これが一番問題だったのではないか。

ジャーン、茂庭、加地、金沢

この時期は、本当に、鉄壁の守備力を持っていた。今のメンバーの能力が問題ではなく、固定化できなかったために、連携を含めた守備力が足りなかったことが問題だったのではないか。

・目指したサッカー
流動的にポジションチェンジを繰り返しながら、パスをつなぎ、ゴールを奪うサッカーを目指した。
実現にかなり近いところまでいったとは思う。しかし、それにより、相手としては攻略方が明確となった。
カウンターに圧倒的に弱かったのである。その結果、いい試合をしているのに、引き分けや負けが多かった。
良いサッカーをし、得点が毎試合3得点ほどとれるなら、1失点しても構わない、という言い方もできる。
しかし、得点になかなか結びつかなかった。
勝てないのも当たり前といえば当たり前である。

・メンタルの弱さ
結局、誰がチームをひっぱっていったのであろう。徳永がキャプテンに最終的には落ち着いていたが、彼自身、一試合でボランチ、SB,CBなどポジションチェンジをしたこともあるほど、たぶんプレイに迷いもあったことだろう。そのような彼がチームを引っ張っていくのには無理があったかもしれない。
土肥も浅利もアマラオも文丈もいなかった。
羽生も、そのような引っ張っていくタイプには見えなかった。
若いので無謀ではあるが、気持ちの強さだけなら、椋原、権田にキャプテンをまかせる、ということもできたのではないか。
彼らこそ、生まれながらの東京魂を持っている選手たちだからである。

・赤嶺
うまく使えなかったことは何もいうまい。しかし、残留を争っている相手にプレゼントを贈ったようなものであることは否定できないので、フロントの失態といっても問題がないだろう。

・コンディション・怪我
人間がやっていることだから、もちろん、怪我するな、とかコンディションちゃんとあげとけ、と言い切ることはできない。でも、やはり多すぎた気がする。平松がいさえすれば、もう少し事情は違っただろう。

・代表をかかえる難しさ
代表によばれる可能性があった選手は、
権田、今野、森重、キム、長友、徳永、石川、羽生、平山、重松...などなどたくさんいる。
ということは、その間持ちこたえられる選手層が必要なのだ。最後の争いにあたって、キムが韓国につれていかれたことは本当に痛手だったと思う。
選手が残ってくれるかどうかはまだわからないが、今後このようなことがあったときには、選手層の厚さというのが大事なのだと思う。

・セットプレイ
大竹、北斗、キム、松下、などなど今年の東京は期待されたキッカーがたくさんいたはずだ。しかし、セットプレイからの得点はどれだけのものだったか。調べていないが、それほど多くなかった気がする。なぜだろう。セットプレイの練習をたくさんしたのだろうか。


その他いろいろ理由はあったのだろう。
これらをふまえて、来年はチームづくりを含め、1年でのJ1復帰、そして、再来年J1にて再度の旋風をおこすことを望む。

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